名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に位置し、明治中期から形成された、市内で最古の商店街。夏には昭和31年から続く「七夕まつり」。平成25年からは「秋のパリ祭」が開催され、新旧の魅力が詰まった商店街です。
名古屋市西区の堀川に架かる五条橋は、かつて清洲城下の五条川に架けられていた橋を、慶長15年に始まった清洲越しの際に、この地に移築したものです。そのため五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、堀川が開削された慶長15年より古い慶長7年の銘が確認できます。
堀川は、慶長15 年(1610 年)名古屋城の築城と時を同じくして福島正則により開削されたと伝えられています。当時は、名古屋城西の巾下と熱田宮の渡しを結ぶ延長約6キロの川でした。その後、上流部(黒川)の開削や下流部での新田開発などが進み、名古屋を南北に貫流する現在の堀川になりました。
元禄13年(1700年)の大火の際、防火の目的と旧大船町商人の商業活動として、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。その後太平洋戦争の際にも比較的空襲の被害が少なく、破壊を免れたため、多くの古い町家や土蔵などの街並みが残りました。昭和61年(1986年)には、街並み保存地区に指定されました。
四間道界隈の古い民家の屋根瓦の上には、屋根神様が見られます。疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民が祈りを込めて建造しました。
150年ほど前の安政の頃、井戸を掘っていたところ、地中から約30センチのお地蔵さまが出てきました。お地蔵さまには「宝永七年」という刻銘があり、それよりさらに150年も前に作られたものでした。洪水の際に流れて埋もれたと推測されていて、偶然に井戸を掘った場所から出てきたのは、お地蔵さまの掘り出して祀ってほしいという意志がそうさせたのだと信じられており、1895(明治28)年には御堂も建てられ、今も大切に保存されています。